2023年7月23日、海瀬家住宅主屋(8月7日に有形文化財に登録)が特別公開された際の資料を公開致します。
2.河内村について
西浦河内は河内川の中流にある集落で、古くは下流の木負と同村だったといわれています。集落は河内川の氾濫から家を守るため、山の斜面に住宅が集中しています。
江戸時代、河内には「御林」といわれる幕府や藩の材木を切り出すための管理地があり、木の種類や本数、大きさをつぶさに記録し、厳重に管理されていました。延宝2年(1674)の記録では、250万坪の敷地に、約1万本の樹木が管理され、その樹種は杉だけでなく、松、樫、コナラ、樅などがあったことが記されています。
天保3年(1832)、浜御殿奉行の木村喜重が御林の樟の視察のために河内を訪れています。木村はその時の道中日記と河内、禅長寺、大滝などの画を残していますが、日記には河内で蜜柑が栽培されていることが記されており、江戸時代からみかん(当時は紀州みかん)が河内の特産品だったことがうかがわれます。また、仲屋には「江戸時代に高貴な人が泊まった」言い伝えがあり、木村も仲屋に滞在したかもしれません。